阿恵官衙遺跡(あえかんがいせき)
更新日:2024年11月28日
阿恵官衙遺跡は、飛鳥時代から奈良時代(7世紀後半から8世紀)にかけての筑前国糟屋評[郡](かすやのこおり)の役所跡とされる遺跡です。
九州大学農学部付属原町農場内で実施した発掘調査の結果、役所の中心施設である政庁跡、当時の税として集めた米を保管した正倉跡、古代の道路跡が良好な状態で発見されました。政庁、正倉は建替えと増築が行われたことも明らかになっています。
現在も使われている「郡」という行政単位は、701年の大宝律令によって「評」から「郡」に変更されてから現在まで続いているものです。現在の糟屋郡の始まりをさかのぼっていくと阿恵官衙遺跡にたどり着くことになり、まさに糟屋郡のルーツと言えるでしょう。
また、698年に製作された国宝妙心寺梵鐘(京都府)には「糟屋評造舂米連廣國(かすやのこおりのみやつこつきしねのむらじひろくに)」の名が記されています。「糟屋評造」とは糟屋評の長官という役職名を表しています。このことから、糟屋評は長官の名前が判明している数少ない例として注目されていましたが、その人物が政務を行った場所がまさに阿恵官衙遺跡ということも明らかになりました。
このように、古代の役所の全体像を把握でき、その移り変わりもたどることができるなど、古代における地方の支配体制を考えるうえで重要な遺跡と位置付けられます。
【令和2年3月10日、国指定】
阿恵官衙遺跡の北東に位置する場所で行った発掘調査では、飛鳥時代から奈良時代の役所の特徴を備えた建物群が発見されました。これらの建物群が見つかった区域も、古代の役所の移り変わりを考える上で重要であると評価を受け、国史跡に追加指定されました。
【令和6年10月11日、追加指定】
九州大学農学部付属原町農場内で実施した発掘調査の結果、役所の中心施設である政庁跡、当時の税として集めた米を保管した正倉跡、古代の道路跡が良好な状態で発見されました。政庁、正倉は建替えと増築が行われたことも明らかになっています。
現在も使われている「郡」という行政単位は、701年の大宝律令によって「評」から「郡」に変更されてから現在まで続いているものです。現在の糟屋郡の始まりをさかのぼっていくと阿恵官衙遺跡にたどり着くことになり、まさに糟屋郡のルーツと言えるでしょう。
また、698年に製作された国宝妙心寺梵鐘(京都府)には「糟屋評造舂米連廣國(かすやのこおりのみやつこつきしねのむらじひろくに)」の名が記されています。「糟屋評造」とは糟屋評の長官という役職名を表しています。このことから、糟屋評は長官の名前が判明している数少ない例として注目されていましたが、その人物が政務を行った場所がまさに阿恵官衙遺跡ということも明らかになりました。
このように、古代の役所の全体像を把握でき、その移り変わりもたどることができるなど、古代における地方の支配体制を考えるうえで重要な遺跡と位置付けられます。
【令和2年3月10日、国指定】
阿恵官衙遺跡の北東に位置する場所で行った発掘調査では、飛鳥時代から奈良時代の役所の特徴を備えた建物群が発見されました。これらの建物群が見つかった区域も、古代の役所の移り変わりを考える上で重要であると評価を受け、国史跡に追加指定されました。
【令和6年10月11日、追加指定】
阿恵官衙遺跡(あえかんがいせき)
阿恵官衙遺跡(追加指定地)
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関連リンク
- 国史跡阿恵官衙遺跡保存活用計画
- 発掘調査報告書『阿恵遺跡』(外部サイトにリンクします)
- 発掘調査報告書『阿恵遺跡2次』(外部サイトにリンクします)
周辺案内図
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このページに関する問い合わせ先
教育委員会事務局 社会教育課 文化財係
郵便番号:811-2314 福岡県糟屋郡粕屋町若宮1丁目1番1号
窓口の場所:粕屋町立歴史資料館(粕屋フォーラム2階)
電話番号:092-939-2984(直通)
ファクス番号:092-938-0733