メニューにジャンプコンテンツにジャンプ
粕屋町

坂の下地蔵尊のはなし

更新日:2019年12月17日

坂の下地蔵尊のイメージ

それは、それは、ずっと大昔のことです。

長者原に非常に人望の厚かった大長者が住んでいました。

娘が三人おり、名前を「時姫」(ときひめ)・「真喜姫」(まきひめ)・「多喜姫」(たきひめ)といい、揃って気品のある美人だったそうで、ある偉い武士から縁談の申し入れがありましたが、その武士の普段の態度を知っていた父親はこの相談に応じようとしませんでした。

武士は、幾度となく訪れて申し入れますが、父親は断り続けました。

まもなく真喜姫は博多の津に嫁いで行きました。

それから幾日か経過したある夜のこと、使いが来て、長者を連れ出しました。

そして、夜明けになっても長者は帰って来ませんでした。

母を含めて三人の女性は、不安な夜を過ごしました。

数日後の夜、けたたましく玄関を叩く音が聞こえました。

三人の母娘はおびえながらひそんでいましたが、数人の武士が乱入してあっという間に三人の女性を殺害し、家に放火をして逃げていきました。

その夜中に博多の津に嫁いでいた真喜姫のもとに、使いが母君の急病の知らせを伝えました。

真喜姫は突然のことに驚き、腰元を連れて実家へ急ぎました。

やがて、舟は坂の下に着くと、あたりは一面にうす墨を流したような茂みの陰がひろがり、その中にわずかに白く、上り口の細い道が見えていました。

心急ぐままに道を登り始めたその時、突然人影が道をふさいだかと思うと、真喜姫も腰元も血潮に染まって倒れてしまいました。

悪い武士のはかりごととも知らず、ただ母のことを心配しながらたどりついて、ほっとする間もなく、悲運の最期となってしまったのです。

夜が明け、村人たちは、丁ちょうにほおむって、石を建て、地蔵様としてまつりました。

これが、原町区の「坂の下地蔵尊」にまつわる話で、延暦七己未天(788年)南無阿弥陀仏十月吉祥日と刻まれています。

  • 【近隣の史跡】鶴見塚古墳、原町のお地蔵様 等
  • 【最寄駅】JR原町駅より約0.9キロメートル[徒歩約15分]
  • 【バス停】西鉄原町西バス停より約0.6メートル[徒歩約10分]
AdobeReaderのダウンロードページへのリンク.png

PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、左記の「Adobe Acrobat Reader」バナーをクリックして、ソフトウェアをダウンロードし、インストールしてください。

このページに関する問い合わせ先

粕屋町立歴史資料館(粕屋フォーラム2階)
郵便番号:811-2314 福岡県糟屋郡粕屋町若宮1丁目1-1
電話番号:092-939-2984
ファクス番号:092-938-0733
開館時間:火曜日から日曜日の午前10時から午後5時まで(ただし、祝日、休日の翌日、毎月最終木曜日、特別整理期間を除く)

このページに関するアンケート

このページは探しやすかったですか?
このページの情報は役に立ちましたか?
このページは分かりやすかったですか?
このページに対する意見等を聞かせください。